米軍演習が始まった経緯
1995年、沖縄で、米兵3名による
小学生の少女に対する集団強姦事件が起きました。
この事件は、長年、沖縄県民の米軍基地への怒りを爆発させました。
沖縄県議会、市町村議会は米軍への抗議決議を相次いで採択。
事件に抗議する県民総決起大会が開かれ、
約8万5千人もの沖縄県民が参加しました。
これを受けて、日米両政府は、普天間基地の返還などとともに、
沖縄の県道104号線を越えて行われていた
155ミリりゅう弾砲の実弾砲撃演習を
本土5ヶ所(北海道矢臼別、宮城県王城寺原、山梨県北富士、
静岡県東富士、そして、大分県日出生台)に
移転する案を提示しました。

名指しされた場所ではどこも大きな反対の声があがりました。
大分県でも、日出生台の地元、湯布院、玖珠、九重の
3つの町の町長を代表とする
官民一体の反対運動が立ち上がり、
玖珠川原の反対集会では、
16000人が受け入れ反対の声を上げました。

(真ん中に当時の湯布院町長を始め、町の代表が全員そろって反対のデモに)
国は当初、「地元の理解なしに移転はしない」と、
地元意志を尊重するかのように言っていましたが、
地元が最後まで受け入れる気配がないとみるや、
「国の責任でやらせていただく」として、
日出生台への米軍演習移転をむりやり決定しました。
その後、1999年より、日出生台での米軍演習は、
大分県民の大きな反対の声の中、開始され、
大分県や地元3町、地元住民の「縮小廃止」を求める声を踏みにじって
いまだ強行され続けています。