2019年の14回目の日出生台での米軍訓練は大きな転換期となった

日出生台で進んでいる事態は、この演習が始まった1999年当初より懸念をしていた通りの方向で、なし崩し的な拡大の傾向を見せている。

特に、前回の訓練において、米軍は地元の約束事項としてこれまで基本的に守られてきた午後8時までに実弾演習を終了するという確認書を完全に無視、再三の抗議と遵守要請をも無視して、5夜にわたって確認書破りの演習を繰り返した。

 さらに、事前の演習日程として公表していた日程を終えた翌日、さらに小火器‘(小銃、機関銃)の実弾演習を強行し、本土各地での移転訓練における年間訓練日数の上限35日をも越え、地元の約束と日米の国どうしの約束の両方を破るという前代未聞の事態となった。以下、この状況について、もう少し詳しく説明する。


日出生台においては、これまで冬期の実弾演習は午後8時までとされてきた。これは2012年に大分県が日出生台の陸上自衛隊との間で「覚書」として締結されたもので、2012年の締結以降、自衛隊はこれを遵守し、今日に至っている。

米軍の訓練は現地で行われている自衛隊の演習の使用状況に準ずることになっているため、結果的に米軍も自衛隊と同様に、これに従うこととなる。 実際、2012年に覚書ができて以降、前回の訓練にいたるまでは、基本的にこれが米軍によっても遵守されてきた。(米軍指揮官の任期は2年交代とされており、新しい指揮官が赴任した2015年と2017年に1日だけ、時間オーバーしたが、大分県や地元住民、各種団体からの猛抗議とこれをマスコミが大きく取り上げたことにより、それ以降、このルールは米軍によっても遵守されてきた) 

しかし、14回目となった前回の日出生台訓練はまったく違う事態となった。米軍は計5回、5夜にわたって午後8時を過ぎる合意違反の夜間砲撃を強行した。過去に、単発で合意違反が起きた時は、大分県や地元住民、各種団体が九州防衛局に抗議をし、九防も県に出向いて謝罪する事態となり、それを受ける形でその後、合意違反は起きず遵守されてきたのがこれまでのパターンだった。だが、今回は違った。

今回もこれまで同様に米軍の合意違反が起きた後には、大分県や地元からの猛抗議、翌日の夜には九州防衛局が県庁に謝罪に訪れるということになったわけだが、今回の米軍による合意違反は単発ではなく、3月14日、15日の2連続、17日、18日、19日の3連続と起きたために、九州防衛局が違反の翌日に県庁を訪れて謝罪をした。しかし、その同じ日の夜に米軍は合意違反を繰り返したために、九州防衛局の面目丸つぶれという事態となった。九州防衛局は謝罪を重ねるたびに位の高い役職の職員を県庁に派遣し、これに対応したが、3月19日には九州防衛局のトップである局長が謝罪に県庁を訪れた

が、その夜、米軍はまた8時をすぎる砲撃を実施するという始末だった。 

これについて、のちに毎日新聞が2月24日に九州防衛局が日出生台の地元で開いた説明会の様子を次のように記事に書いている。

 「我々も何とか阻止しようと米軍側に働きかけたが、かなわなかった」。 同局によると、訓練期間中、再三にわたり、米軍側に合意の順守を要請していたという。しかし、同局の木下恵介・基地対策室長は「米軍側は頑なに自分たちの権利を主張する感じが見受けられた。天気が良ければ、毎日午後8時以後の訓練をしていた可能性がある」と米側と折り合えなかったと話した。 また、公表していた8日間の訓練日数を超えて、予備日に小火器訓練が実施されたことに触れ、木下室長は「我々も信じられないような事態が起きてしまった」と述べた。 その上で、米軍から予備日の使用を伝えられてからも「止める方向で一生懸命やった。徹夜して調整し、米軍にここまで言ったことがないくらい、強い口調で止めてほしいと要請した」と強調した。しかし、結果的に米軍が強行したことを「地域の皆様に負担をかけたと認識し、申し訳なく思う」と陳謝した。 (毎日新聞2020年3月26日 地方版) 

このような九州防衛局でさえも静止できなかった今回の米軍の暴走を受けて、広瀬大分県知事は3月2日、河野防衛大臣を直接訪ね抗議をするとともに、日出生台での合意事項を日米の合意事項とするよう求めた。

 また、3月11日、大分県議会は▽午後8時以降の砲撃自粛を日米の合意事項とする▽国内での訓練日数(年間最大35日間)に小銃などの小火器訓練を含むことを明確にする―の2点を求める意見書提出を決議した。 その後、国からはなんの返事もなく、なしのつぶて状態が続いたが、約1年が過ぎた2021年3月18日、岸信夫防衛大臣は国会内で広瀬知事に対して、「夜間砲撃などの自粛を米側が受け入れなかった」旨の説明をしたという。これに対して、広瀬知事は「残念を通り越して遺憾だ」と怒りをあらわにした。

大分合同新聞の記事

 

以上が、2020年2月に実施された前回の訓練とその後のこれまでのおおまかな経緯だ。 

このような事態となる予兆は、実は前回の米軍訓練の前に実施された、米軍指揮官による地元説明会の場でも実ははっきりと見られた。 先に述べたように、前回の訓練以前は、午後8時までに終了するという「覚書」「確認書」については基本的に守られてきた。2年ごとに変わる米軍指揮官二人がその初年度に1日だけ合意違反をしたという経緯があったので、この合意ができて以降、三人目となる米軍指揮官の任期2年の最初の年になる今年、また合意破りが起きる可能性が予測された。

説明会の場では、「米軍指揮官が今回、この合意を守る意思を持っているのかどうか」の質問がたくさん出された。しかし、これに対する米軍指揮官リチャード・ロビンソン大佐の返事はすべて同じ答えだった。「米軍訓練が優先だ」。米軍は、今回、合意について尊重する気はまったくないと予感されたやりとりだった。そして予感通り、今回の前代未聞の事態へと展開していったわけだ。 

その後、大分県知事は防衛省へ出向き、河野防衛大臣に対して、日米の合意事項とする様に要請。回答は1年を待たされた後にようやく岸防衛大臣からなされた。その内容は、以下の2点。 

1、米軍は大分県、地元3市町と九州防衛局との間で合意されたルールを拒否する。 2、小火器の射撃は155ミリりゅう弾と同様にそれぞれ実弾射撃の日数として取り扱う。 

2については、ここまで触れてこなかったので、少し詳しく説明する。 小火器というのは、小銃、機関銃などをさすが、実際には米兵が二人がかりでも持ち上げるのが大変なほどの重い銃なども含まれるほどに多様な武器がそこには含まれる。また、監視活動に取り組む私たちの大半は武器に詳しくはないので、仮に小火器の範疇を超える武器が持ち込まれても、米軍が自らそのことを明らかにしない限り、監視活動によってそのことを指摘するのは実際上かなり難しいと考えられる。

この小火器訓練が実施できるように許定に盛り込まれたのは2007年の協定更新時であったが、それまでは、155ミリりゅう弾砲のみしか使用できないはずだったものが、小火器が加えられたことで、事実上、米軍にとってはほとんどあらゆる武器を使用するフリーハンドが与えられたことになる。 さて、今回、米軍は日出生台において、演習が終了すると発表されていた2月19日に訓練を終了せずに翌20日に小火器の実弾射撃訓練を実施したわけだが、この後に出てきた米軍側の理屈は「小火器訓練は実弾射撃訓練の日数としてカウントしない」というものだった。 

しかし、これはこれまで九州防衛局が私たちた大分県に対して行ってきた説明とは明らかに異なる。 2007年の協定更新時に、小火器訓練が盛り込まれることになった際、九州防衛局の説明は「小火器の実弾演習もそれのみしか行われなくても訓練日数としてカウントする。小火器の訓練と155ミリりゅう弾砲の実弾砲撃は同時には実施しない。(よって、小火器訓練が加わったとしても、その間、155ミリりゅう弾砲は使えないので、小火器訓練の追加は訓練拡大というわけではないと大分県は説明していた)

しかし、今回、米軍が持ち出してきた理論は、小火器の訓練を実施しても日数としてはカウントしないので、私たちがSACO合意の違反だとして指摘する、年間35日ワクを越えているという指摘はあたらないというわけだ。

しかし、先にも書いたように、これはこれまでの防衛局の説明とは明らかに異なる。これはSACO合意なので日出生台だけに限らずに、本土5カ所の移転地全てに同様に関わる問題であり、少なくとも昨年度の訓練以前は、「小火器も日数としてカウントする」という認識で各地での小火器訓練は取り扱われてきた。それを突然、米軍があらたな解釈を持ち出して、今までのルールをねじ曲げてしまおうとしているのだ。

つまり、米軍が今回、示した姿勢は、1点目として、これからは地元の合意事項は米軍には関係ない、守る気はない、ということであり、2点目としてはSACO合意事項という日米の国どうしの間での合意も同様に関係ない、と、突然言い出したわけだ。 これまでのルールなんてものに米軍は縛られない。日本においては米軍のいいように変える。なぜなら米軍の訓練は最優先だから。とでも言っているかのようだ。 14回目にして日出生台での米軍訓練は、大きな転機、節目を迎えようとしているのかもしれない。 

最終更新日: 2025年11月22日